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プチクラスキッズクラス・ジュニアクラス中高生クラス・おとなクラス芸大美大受験科 2026.05.16
似島のことvol.1

アトリエぱお受験科と中高生クラスが合宿を行った似島(にのしま)についてご紹介します。
本部ブログで3回連載予定です。
似島は、小さな三角形の形から「安芸の小富士」と呼ばれ、多くの人に親しまれました。
一方で、戦争と深い関わりがあり独特の歴史を持っているところです。
日清戦争(1895年)が終わりを迎えると、朝鮮半島や台湾方面から多くの将兵が帰ってくることとなり、
現在の似島学園の場所に陸軍が臨時に検疫*所を作りました。
この検疫所のおかげで、当時世界最高規模で世界的に流行していたコレラなどの伝染病を
水際で食い止めることができたそうです。
10年後には日露戦争(1905年)が終わりを迎えました。
その時に、満州や朝鮮半島から帰ってくる将兵達のため、さらに、現在の少年自然の家のところにも検疫所を作りました。
五万有余名のロシア人捕虜は、似島で検疫を受けた後、宇品から列車で全国の収容所へ送られました。
さらに10年後(1917年)、青島(チンタオ)戦争で、ドイツ捕虜540数名が大阪から似島に移送されてきました。
その後、施設内の収容所で3年間を過ごすことになります。
その間、ドイツ語、日本語、英語、フランス語、スペイン語、ロシア語、中国語、
数学、機械工学、電気学、経済学、法学、歴史、タイプライターなどの講習が行われました。
また、演劇活動も盛んに行われ、新聞(似島新聞)発行も行いました。
ここで、誰もがえっ?って思いますよね。
だって、敵に捕まった兵隊さん達の生活エピソードが、とても文化的なのですから。
実は、当時の日本は、国際社会に仲間入りしたくて捕虜を人道的に扱いました。
その結果、日本とドイツの文化交流が盛え、ドイツ人捕虜達は驚くほど自由な生活ができたのです。
お菓子作りが得意だったカール・ユーハイムはこの時の捕虜の中にいて、
ドイツ菓子のバウムクーヘンを焼いていたのでした。
(つづく)
*検疫とは、感染症の病原体や病害虫の国内侵入を防ぐための衛生措置のことです
参考記事 https://www.city.hiroshima.lg.jp/_res/projects/default_project/_page_/001/030/703/kashidensetsu.pdf









