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プレプチプチクラスキッズクラス・ジュニアクラス中高生クラス・おとなクラス芸大美大受験科 2026.05.18

似島のことvol.3

似島のことvol.3

1945年8月6日、似島の多くの家屋は強い振動と爆風によって窓ガラスが破壊されました。

通勤や通学、公用や私用で市中に出かけた者の多くは、即死、または負傷しました。

さらに、市中から多くの被曝負傷者がどんどん島に運びこまれ、

島全体が臨時野戦病院となり、馬舎までも臨時病棟となりました。

約1万人の負傷者が緊急搬送され、島中に、苦しい叫びや号泣が渦巻きました。

被害者の多くは、家族が似島にいると知り探しに向かいましたが、

ほとんどの人は、自分の家族を見つけられないまま帰ったそうです。

全滅したと言われる広島二中の学生6人も似島に運ばれましたが、

誰かわからないまま亡くなりました。

島で、遺体の火葬が8月10日ごろから始まりました。

当初は、一体ずつていねいに行いましたが、死体が急増したため、

広場や空き地、馬を焼却した馬匹検疫所で、

数体あるいは十数体まとめて火葬処理しました。

それでも足りず、ついには空地に大きな穴を掘り、

たくさんの死体をそのまま埋めました。

それらの遺骨や遺品は、現在、広島市戦災死没者供養塔に合祀されています。

今回、似島について調べてみて、戦争の傷跡が多く残る地でありながら、

今でも親しまれている文化も生んだところだとわかりました。 広島には、このような負と負ではない遺産が入り混じっているところがあちこちにあります。

これらは、人間が持つ両面性、破壊力と創造力の現れだと私は考えます。 私たち人類が我が身に備わる力をどのように使っていくかについて考え、

行動することは、平和な世界を築く為にいちばん大切なことに思います。

参考記事 https://www.city.hiroshima.lg.jp/_res/projects/default_project/_page_/001/030/703/kashidensetsu.pdf

宮郷 敦子